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満々と水を湛える伝崇神天皇陵

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環濠集落としての営み
 纒向(まきむく)遺跡は、桜井市に位置し、御諸山(みもろやま)とも呼ばれる三輪山( みわやま) の北西麓の一帯の弥生時代末期から古墳時代前期の環濠集落遺跡です。成立の時期は三世紀と見られており、また前方後円墳発祥の地とも言われています。
 その規模は、邪馬台国にも比肩し、卑弥呼の墓との諸説もある箸墓(はしはか)古墳、古事記に「山邊道勾(まがり)之岡上」と記される山邊道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)と言われる伝崇神天皇陵などの六基の古墳が置かれています。これらの古墳を囲み配された環濠は豊かな用水としてこの地域の農林業を成立させています。
 

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山の辺の道より二上山を望む

image_05.jpg大和の山々に抱かれて
 山の辺の里からは、西南には天香久山(あまのかぐやま)、畝傍山(うねびやま) 、耳成山(みみなしやま)から成る大和三山、東には三輪山、西には金剛山地の二上山( ふたかみやま) が遠く見晴らせます。神宿る山とされる三輪山麓には、ヤマト王権の初期と言われる三輪王朝が置かれていたとも言われています。また、大和の山々について、中大兄皇子は、万葉集において「香具山は畝火(うねび)ををしと耳成(みみなし)と相あらそひき神代よりかくにあるらし古昔も然にあれこそうつせみも嬬をあらそふらしき」と詠じています。三山の三体の神に託して、中大兄皇子は弟の大海人皇子との額田王をめぐっての確執を詠ったものと言われています。